Pub Antiquarian 『新青年』研究会のブログ

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第27号

                                        天瀬裕康

オキュルス三〇周年と渡辺温

オキュルスと渡辺東
 ギャラリー・オキュルスの設立三〇周年記念事業の一つとして、渡辺温へのオマージュ展をする……という案内状が届いたのは、東日本大震災の年の、厳しい残暑が続いている頃だった。
 馴染の少ない方のために若干の説明を加えると、このギャラリー・オキュルス(ときにオキュルスと略す)は東京都港区高輪にあって、渡辺啓助の四女で渡辺温の姪にあたる東(あずま)さんが、一九八〇年に開設し経営しておられるものだ。単なる画廊としての機能だけでなく、いろんな芸術的イベントも行われ、サロン的なムードが漂っている。
 ちなみに東京生まれの東さんご自身も、武蔵野美術大学卒業の画家であり、イラストレーターとして、主としてミステリ―関係の挿画や装幀を手がけてこられた。渡辺啓助の晩年に関する東さんの記述は貴重だし、啓助も装幀をしているが、東さんも啓助本の装幀をした。最近は「丁」の字を使うことが多いが、ここでは一応、「幀」を使わせて頂く。
 さて画風だが、はじめはアブストラクト風だったようだし、一九九一年の『鴉白書』(東京創元社)の普及版や限定本(渡辺医院の所蔵は二〇〇部の内第七八番)の幾何学的に切った画面処理も美しい。
 しかし基調は、たとえば間羊太郎の『ミステリ博物館』(一九七一年、三崎書房)や日影丈吉の『ミステリ―食事学』(一九八一年、社会思想社)、さらには『創元推理 ?』(一九九二年、東京創元社)における装幀・挿絵に見られるような、幻想・迷宮的内宇宙の超レアリズムだ。
 主たる作品集には、一九九九年十一月に限定五〇〇部で出版された『アンドロギュノスの裔たち』があり、渡辺医院には五二番が所蔵されている。この作品集の題名は渡辺温の「アンドロギュノスの裔」によると思われるが、この「裔」は「ちすじ」と読む。それでは、いよいよ渡辺温の世界へ行こう。


案内状と展示物
 この渡辺温オマージュ展の会期は、九月二十二日から十月二日までだ。二十三日(秋分の日)のオープニング・パーティーに、私は渡辺玲子と少し早目に到着し、周囲を見回したのであった。
 案内状によれば参加作家として、十七名の画家・版画家・人形作家などの名前が並んでいる。そして内面には、末弟・渡辺濟や兄・啓助はじめ、浜田雄介、八本正幸、戸川安宣、権田萬治たち諸氏の言葉が印刷されている。
 最初にある《遠花火我にも幽き家系あり》という渡辺濟の句が、全体を引き締めている感じだ。
 中ほどには、権田萬治氏の《「可哀相な姉」が最も優れた作品だという私の評価は今も変わらない》という言葉が出てくる。最後に島崎博氏が薔薇十字社版『アンドロギュノスの裔』の再刊を喜んだあと、《今年ギャラリー・オキュルスは三十周年を迎えるという。併せて渡辺東さんにもお祝いを申し上げたい。おめでとうございます!》と締め括っている。
 さて今回の展示における眼目の一つは、この八月二十六日に刊行された創元推理文庫渡辺温全集『アンドロギュノスの裔』(浜田雄介解説)である。これが会場に並んでいて、それがまず目につく。
 その横には渡辺温の作品集『アンドロギュノスの裔』(一九七〇年九月、薔薇十字社)があるが、この年譜を編んだのは島崎博だ。この本の帯は、句集『球体感覚』や詩集『終末領』を出した加藤郁乎が書いており、その言葉は異次元に誘う。それは黒地白ヌキで堀内誠一の装釘ともよく調和しているのだが、この挿画も渡辺東である。なお、今回の全集と比較すると、小説や脚本は、大部分が収録されているものの、掌篇や翻訳・翻案は今回の全集で初めてのものが、かなり認められた。
 また、会場には三〇センチくらいの「温」人形のほか、古い「ポー・ホフマン集」原稿の表紙部分、それから、これまでにも展示されたことのある温のシルクハットなどが目に入る。
 そうこうしている間に参列者が増え、挨拶に忙しくなってきた。
 文脈の都合次第で、一部では敬称を省略することもあるが、どうぞお許し願いたい。


参列者たち
 最初に挨拶したのは、八本正幸氏。渡辺医院蔵の野田昌宏「SFイラスト・ライブラリー」が褪色しかけて困ったとき、助けてもらったことがある。
 次いで横井司、小松史生子末國善己といった、『新青年』研究会の人たち。このあたりは渡辺玲子も、たいてい知っている。少ししてから、浜田雄介教授にもお会いできた。
 この会に作品を出展している人は多い。この中で高山ケンタ氏は、渡辺玲子が『みんないっしょに』を上梓したとき、表紙を飾って下さった画家だ。天瀬は楢喜八氏とも、少しばかり雑談した。
 そうしているうちに、奥木幹男氏にお目にかかれた。渡辺啓助の蔵書では日本一で、啓助の年譜も多くは彼の仕事だ。奥木氏を群馬県吾妻郡中之条町四万温泉に訪ねたのは二〇〇六年、五月初めの連休を使った夫婦旅行の途中であった。今回の東日本大震災に際し、啓助関係の膨大な蔵書は無事だった由、「それはなにより」と喜んだものだ。
 ミステリ―文学資料館の権田萬治館長と初めてお会いしたのは、台湾へ帰られた島崎博氏の再来日があり、「島崎博さんをお迎えする会」が開かれたときだと思うが、その評論は素晴らしい。渡辺玲子は初対面だったが、よき思い出になったであろう。
 その後、彼女は児童文学関係の人と話し込んでいたようだ。村岡花子の孫の村岡恵理さん、横溝正史の次女・野本瑠美さんたちである。
 やがてベルナール・キリシ氏により、温の短篇の仏訳が朗読された。「兵隊の死」等だったと思う。それからボードレールアルチュール・ランボーの詩の一節もあったようだ。そういえば温はランボーに似ているではないか。
 ワインやツマミも出て、会場は満員――こうして渡辺温オマージュのムードが拡がってゆく。
 U.C.C.(アンダー・クラウド・クロック)による温の詩の朗読(男性)とギター伴奏(女性)も、温の文学世界に相応しいものだったが、同時に、いつも香気ある雰囲気を醸し出す女主人・東さんを、優れて印象づけるものでもあった。
 

再び渡辺東の世界
 余談ながら帰途の車中、「『渡辺東の世界』展が開かれてもいいんじゃないかな」と、二人で話し合ったことである。
 薔薇十字社版の『アンドロギュノスの裔』(一九七〇年)には、啓助が「温という弟」という一文を寄稿しているが、その中で東の挿絵についても触れている。
 《装釘やイラストは僕の第四女である東が受け持った。彼女はとても楽しい仕事だと云っていたことを付記しておく》
 この本が出版されたのは一九七〇年だが、このときすでに後年の作品集に見られるような絵が描かれているから、画風の確立はかなり早い時期からだったのだろう。
 東さんの作品集『アンドロギュノスの裔たち』は大場啓之・企画、和泉昇・編集で、「鴉の会」の人たちが頑張ったようである。三四作品が収録されており、発行所はオキュルスであった。
 この限定出版に際し、東さんの原画をもとに、各一〇部のリトグラフが作製されたとの由だが、渡辺医院には「蝶発するミトコンドリア」がある。
 他方、文化人で実業家の浜田麻記子が発行していた月刊『ぺるそーな』誌の表紙デザインも、二十一世紀のファースト・ディケイドを飾った。
 それでは東さんを入れた、アナザーWWW展を想像することも、できるのではあるまいか……。

(なお、この「時空外彷徨」紙については、乱歩はじめ探偵作家一般についても窮めて造詣の深い秋田稔氏が、個人誌『探偵随想』第一一二号で触れて下さいました。付記して深謝します)


時空外彷徨 第二七号 二〇一一年一〇月八日



★「時空外彷徨」第26号は、こちらをご覧下さい。
http://d.hatena.ne.jp/sinseinen/20110415