時空外彷徨
天瀬裕康オキュルス三〇周年と渡辺温展 オキュルスと渡辺東 ギャラリー・オキュルスの設立三〇周年記念事業の一つとして、渡辺温へのオマージュ展をする……という案内状が届いたのは、東日本大震災の年の、厳しい残暑が続いている頃だった。 馴染の少ない方の…
天瀬裕康天災と人災、災害と文化 想定外(?)の展開 暫定的に東北関東大震災と呼ばれた異変は、四週間経っても、まだ収まりそうにありません。 この間、『新青年』研究会及び関連諸団体の皆様の中には、被害に遭われた方も少なくないように聞き及んでおり、…
天瀬裕康 乱歩における正常と異常――佐々木久子を巡って アンケートが宿題を だいぶん以前のことだが、『新青年』研究会の「『新青年』趣味」第三号(一九九三年一二月、発行者・湯浅篤志)が、アンケート「私と江戸川乱歩」の集計結果を載せたことがある。 …
天瀬裕康 野田昌宏残照 六月七日(土)、大坂の「ワッハ上方」演芸資料館から帰り、少し遅い晩酌をしていると、家内が、 「野田昌宏さんが亡くなられたそうよ」 と言って新聞を持ってくる。見ればたしかに、 《野田昌宏(のだ・まさひろ)=元日本テレワー …
天瀬裕康今日泊亜蘭幻視 五月十二日の訃報に接し、なんだかモドカシく、少しイライラした気持ちになった。 あの人と文通した、いくらかの思い出がある。 私が瀬戸内海SF同好会を作り、ファンジン「イマジニア」を創刊したのは昭和四十二(一九六七)年六月…
天瀬裕康横溝正史ミニ展〜乾信一郎への書簡から〜 平成二十年四月二十九日から六月末日まで、熊本近代文学館で開催中の「横溝正史ミニ展」のチラシを受け取ったのは、五月十二日。 これには「金田一耕助誕生の頃〜乾信一郎への書簡から〜」という副題が付い…
天瀬裕康 乾信一郎と上塚一族 前回ご登場頂いた上塚尚孝・石匠館館長が確かな人として推奨されたのは、若き日の信一郎(上塚貞雄)がお世話になった上塚司代議士の孫、上塚芳郎・東京女子医科大学教授であった。 さっそく連絡を取って、学校が休みに入った年…
天瀬裕康 乾信一郎の足跡を求めて 温知館尋訪 私が熊本市出水二丁目の愛称・温知館こと熊本県立図書館・熊本近代文学館を訪れたのは、二〇〇六年九月二十三日(土)の秋分の日であった。 図書館と文学館は、入り口は別々だが中は通じている。あらかじめ目的…
天瀬裕康 乾信一郎と広島図書 中学生向け雑誌を中心に 広島図書の教育雑誌の概観 戦後間もない一九四六年八月六日、広島の教師らによる広島児童文化振興会が、タブロイド版二頁の機関誌『ぎんのすず』を発刊した。 同紙は財政的に無理があったので、広島印刷…